ワインの醸造⑥:マロラティック発酵とは…

ワインが持つ多様な個性。その背後には、科学的に解明されつつある微生物たちの巧みな働きがあります。その中でも特に重要なのが、マロラティック発酵(Malolactic Fermentation:MLF)です。
シャープな酸味がまろやかに変化するこのプロセスは、赤ワインだけでなくシャルドネのような白ワインでも味わいに大きな影響を与えます。さらに、近年では遺伝子組み換え酵母(GM酵母)を使った革新的な技術が登場し、MLFの進行速度や風味の調整がかつてないレベルに達しています。
本記事では、MLFの科学的メカニズム、テロワールとの関係、健康への影響、そして最新の醸造技術について、専門的な視点から深掘りしていきます。

MLFとは?リンゴ酸から乳酸への変換プロセス

MLFは、ワイン中のリンゴ酸(malic acid)を乳酸(lactic acid)に変換し、同時に二酸化炭素(CO₂)を放出する生化学的プロセスです。このプロセスを担うのが乳酸菌(Lactic Acid Bacteria:LAB)で、代表的な菌株はOenococcus oeniです。MLFは通常、アルコール発酵が完了した後に行われます。これにより、ワインの酸度が調整され、クリーミーで滑らかなテクスチャーが生まれます。

⚛️ 化学反応式:
C₄H₆O₅(リンゴ酸) → C₃H₆O₃(乳酸) + CO₂(二酸化炭素)

この変換により、ワインに以下の効果がもたらされます。

酸味の緩和: リンゴ酸の「シャープな酸味」が減少し、乳酸の「まろやかな酸味」へ。

テクスチャーの変化: 口当たりが滑らかでクリーミーに。シャルドネの「バタリー感」の由来。

複雑なアロマ: ジアセチル(diacetyl)などの化合物により、バター、クリーム、ナッツの香りが形成される。

成分生成過程風味への影響
リンゴ酸ブドウ果汁鋭い酸味、爽快感
乳酸MLF後に生成柔らかい酸味、まろやかさ
ジアセチルMLF副産物バターやクリームの香り
バイオゲニックアミンLAB発酵中に生成過剰で頭痛の可能性

地域での違い

MLFが冷涼なワイン産地と温暖なワイン産地で異なる影響を持つ理由について考えてみましょう。

MLFの影響は、ワインが栽培される地域の気候条件によって異なることがあります。この違いは、以下の要因によるものです。

  • 酸度とリンゴ酸の含有: 冷涼な地域では、ブドウの収穫時にリンゴ酸が豊富に含まれています。そのため、MLFによる酸度の調整がより重要です。一方、温暖な地域ではリンゴ酸の含有量が低く、MLFが行われても酸度が適切なバランスを保ちやすいです。
  • 風味の違い: 温暖な地域でのMLFは、ワインにより多くの果実の風味を引き立てることがあります。一方、冷涼な地域ではバターやクリームのような風味がより際立つことがあります。
  • ワインスタイルの違い: 地域ごとに異なるワインスタイルが存在し、それに合わせてMLFの実施や制御が調整されます。例えば、シャルドネは温暖な地域ではよりバタリーな風味を持つことが多いです。

冷涼な地域(例:ブルゴーニュ地方のシャブリ): リンゴ酸が多く、MLF後に酸が適度に残り、爽やかな風味を保つ。

フランス・ブルゴーニュ地方(シャブリ地区):白亜質のキンメリジャン土壌が特徴。MLF後もミネラル感が際立つ。

ドイツ・モーゼル地方:急斜面の畑で育つリースリングは、MLFにより柔らかな酸と桃のような芳香が生まれる。

温暖な地域(例:カリフォルニアのナパバレー): もともと酸が少なく、MLFによってリッチで厚みのある味わいが形成される。

アメリカ・ナパヴァレー:MLFを経たシャルドネは、バターやバニラの香りを伴うリッチなスタイルが人気。

オーストラリア・マーガレットリバー:日中は温暖で夜間は冷涼な気候がMLFの進行を調整し、バランスの良い味わいを創出する。

📊MLFの進行と酸度の関係(産地別比較)

地域平均リンゴ酸含有量 (g/L)MLF後の乳酸含有量 (g/L)風味の傾向
シャブリ (仏)6.04.2ミネラル感、爽やかな酸味
モーゼル (独)5.53.8柑橘系の爽快感、桃の香り
ナパヴァレー (米)3.22.5クリーミーでバタリーな風味
マーガレットR (豪)4.13.3豊かな果実味とバランスの取れた酸味

産地によるMLFの活用の違い

MLFの必要性は、気候帯ごとに異なります。

気候区分MLFの目的代表的産地
冷涼地域酸を和らげ、飲みやすさを与えるシャブリ(仏)、モズル(独)
温暖地域クリーミーでリッチな風味を強調ナパ(米)、バロッサ(豪)
極端な寒冷地ほぼ必須。酸が強すぎるためタスマニア、カナダ
<広告>


MLFによる香りと味の変化

MLFによって生まれる乳酸や副産物(ジアセチル、酢酸エチルなど)は、ワインに次のような変化をもたらします。

スパークリングワイン: 一般的にMLFは避けられる。酸のフレッシュさが失われるため。

赤ワイン: タンニンが柔らかくなり、果実味が前面に。例:ピノ・ノワールやメルロー。

白ワイン: バターやクリーム、ヘーゼルナッツのような芳醇な香り。特にシャルドネで顕著。

MLF後のワインでは、次のような香りや味の変化が顕著に現れます。

  • ジアセチル(diacetyl): バターやクリーム、ナッツの香り。
  • 酢酸エチル(ethyl acetate): 微量であれば花のような香り、過剰であれば酢酸臭。
  • プロピオン酸(propionic acid): 熟成感やコクを強調。

MLFによるポリフェノールの変化と健康効果

MLFは、ポリフェノールの構成にも影響を与えます。具体的には、MLFによって酸度が低下することでポリフェノールの安定性が増し、抗酸化作用が持続しやすくなることが示唆されています。

🔹例:ピノ・ノワールとMLF後の変化

  • フェルラ酸(ferulic acid):抗酸化作用が増加
  • カテキン(catechin):タンニンの角が取れて滑らかに

GM酵母が切り開く新時代

🔍 GM酵母(遺伝子組み換え酵母)の登場

近年、MLFの効率を飛躍的に向上させるため、遺伝子組み換え(GM)酵母が登場しています。その代表例が、ML01酵母(Springer Oenologie社製)です。

🔬ML01の特徴:

  • Schizosaccharomyces pombe由来の「マロ酸トランスポーター遺伝子」を導入
  • Oenococcus oeni由来の「マロラクターゼ酵素遺伝子」を搭載
  • アルコール発酵とMLFを同時に進行可能

この技術により、MLFが通常2〜4週間かかるところ、わずか数日で完了する可能性が示されました。

GM酵母とMLF

遺伝子組み換え酵母(GM酵母)がMLFに与える影響と、その議論について考えていきましょう。

遺伝子組み換え酵母(GM酵母)は、ワイン製造において注目されているテクノロジーの一つです。GM酵母はMLFに以下のような影響を与える可能性があります。

  • MLFの制御: GM酵母はMLFの制御をより精密に行うことができるため、ワインメーカーによるMLFの調整が容易になります。これにより、ワインの風味やテクスチャーを細かく調整できるでしょう。
  • 品質と一貫性: GM酵母は品質と一貫性を向上させる可能性があります。これにより、ワイン製造業界においてより高品質かつ一貫性のある製品を提供できるかもしれません。
  • 議論と課題: 一方で、GM酵母の使用に関しては議論があります。遺伝的に変更された酵母がワインの「テロワール」や自然な特性を失わせる可能性があるため、業界や消費者の間で懸念があります。

MLFが頭痛の原因?科学的誤解を解く

「MLFはワイン頭痛の原因である」という通説が一部で広まっていますが、科学的には直接的な因果関係は確認されていません。

  • 原因候補1:バイオゲニックアミン(Biogenic Amines)
    伝統的なMLFではヒスタミンやチラミンが生成され、これが頭痛に関連する可能性があります。ただし、ヒスタミンやチラミンはMLF中に生成される可能性がありますが、過剰摂取しなければ健康へのリスクは低いとされています。
  • 原因候補2:硫酸塩(Sulfites)
    MLF後にワインに添加されることが多い酸化防止剤SO₂が頭痛を引き起こすと誤解されがちですが、実際には過敏症の人以外には影響は限定的です。
  • 最新研究の示唆:
    MLFにより硫酸塩の必要量が減少することが確認されています

GM酵母とは何か

改めて説明をしますと、GM酵母(Genetically Modified Yeast)は、遺伝子組み換え技術を使用して変更された酵母のことを指します。通常、ワイン醸造においては天然の酵母が使用されますが、GM酵母はその遺伝子が人工的に変更され、特定の特性や機能を持たせることができます。GM酵母は、酵母がワイン製造中に行う役割を向上させるために使用されることがあります。

GM酵母の主な特性: GM酵母はさまざまな特性を持つことができます。その代表的な例はこちら

  1. マロラティック発酵(MLF)の同時実行: GM酵母は、通常ワイン製造中に別の工程として行われるMLFを、アルコール発酵と同時に実行できるように設計されています。これにより、ワイン製造プロセスが迅速化し、ワインの品質が向上します。
  2. ワインの風味や特性の調整: GM酵母は、ワインの風味や特性を微調整するために使用されることがあります。特定の香りや風味を強調するために遺伝子が調整され、ワインメーカーはよりコントロールされた製品を作成できます。
  3. 酸度調整: GM酵母は、酸度を調整するためにも使用されます。これは、ワインのバランスを保つために重要な要素であり、GM酵母を使用することでワインの酸度が調整されます。

GM酵母の議論: GM酵母の使用にはいくつかの議論があります。一部の支持者は、GM酵母を使用することでワインの品質が向上し、一貫性が増すと主張しています。また、特定の風味や特性を強調するためのツールとしての利点もあります。

一方で、反対派は、GM酵母の使用がワインの「テロワール」(土地の個性)を失わせ、ワイン製造の伝統的な方法から逸脱する可能性があると懸念しています。また、GM酵母の安全性についての疑念も存在し、健康への影響についての研究が不足していると指摘されています。

まとめ: GM酵母の使用はワイン製造において議論の的となっており、その利点と懸念点が存在します。ワイン業界においては、GM酵母の使用に関する規制やガイドラインが国によって異なります。今後の研究と議論によって、GM酵母の役割と安全性についての理解が深まることが今後も期待されます。

<広告>


新しい研究成果

マロラティック発酵(MLF)に関する最新の研究は、ワイン業界に革新的な洞察を提供しています。これらの研究は、MLFの理解を深め、ワイン製造の品質向上に寄与しています。最新の研究成果には以下のような要点が含まれます。

  • 乳酸菌の多様性: MLFは異なる乳酸菌株によって引き起こされますが、最新の研究ではその多様性が明らかにされています。特定の乳酸菌株が特定の風味やテクスチャーをワインにもたらすことが示唆されています。
  • 微生物相互作用: MLFはワイン中の微生物との相互作用に影響されます。最新の研究では、MLFがワイン中の他の微生物に与える影響や相互作用の解明が進んでいます。
  • 生物学的制御: ワインメーカーは、MLFをより細かく制御し、ワインの特性をカスタマイズする方法を探求しています。最新の研究は、生物学的な制御方法の開発に焦点を当てています。

🏆 まとめ:MLFを知ることはワインを知ること

MLFは、ワインの味わいや風味に大きな影響を与えるだけでなく、醸造技術や健康、文化的側面にも深く関わるプロセスです。
冷涼なシャブリで感じる鋭い酸とミネラル感、ナパのシャルドネに漂うバターの香り、その背景にはMLFの巧妙な働きがあります。次にワインを口にしたとき、この微生物たちの芸術的な活動に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

記事を書いた人

しょうたろう
しょうたろう
ワイン愛好家に向けて2023年よりWebサイト「WINE自習室」でワインの魅力を発信。エレガントな赤、アロマティックな白ワインが好み、最近は陽気なイタリアワインがお気に入り、ワインを飲むのが楽しくなる情報をたくさん配信できるよう頑張ります。J.S.Aワインエキスパート2020年取得

ワインの醸造⑥:マロラティック発酵とは…” に対して1件のコメントがあります。

コメントは受け付けていません。